アシュタロスとの戦いは一人の少女の犠牲により、少年に深い悲しみを刻みつつ収束していった。この物語はアシュタロスの事件の決着と共に幕を開けることとなる。
「結局、アシュタロスは一種の適応不全だったわけね。あいつは自分が魔物であることに絶えられなかったのよ。逆説的だけど………」
小竜姫はそこで一息つくと側に立っているベスパを一瞥して話を続けた。
「邪悪な存在であることを拒んだゆえに……」
小竜姫は視線を再びベスパへと向けた。ベスパの前で話すことに躊躇いを覚えたのだろう。それに気づいたベスパは無言で続きを促した。
「コントロール不能な最も凶悪な魔物になってしまったのだろう…」
小竜姫に変わってワルキューレが言う。そこまで静観していたベスパだが思うことがあるのだろう。その口を開いた。
「アシュ様は誰よりも開放を願った。魔族としてのしがらみから、魂の開放を……方法はあれしかないとお考えになったのだろう。宇宙の創造か、死か…」
ベスパはそう言って顔を伏せた。
「奴のやり方に賛成はできんが、気持ちは多少はわからんでもないよ。我々キリスト教系の魔族は、たいてい一神教に否定され悪役としてとりこまれた土着の神だ。おしつけられた秩序には…思うところもあるからな」
その周囲にいる皆が暗い顔をする。アシュタロスを許すわけではないがそれぞれに思うところがあるのだろう。
「ともかく、この件はこれで調査終了ですね!!」
それまで黙って報告書を作成していたヒャクメが、その雰囲気を払拭するためか幾分大きな声で言う。
「長かったですね……これでやっと終わりです」
ヒャクメが目に涙を浮かべながらつぶやく。いままでのことでも思い出しながらの嬉涙だろう。そこに紅茶を持ったおキヌが現れる。
「まだ、終わってなんかないですよ…」
「そうね…」
おキヌは横島とルシオラのことを言っているのだろう。そのセリフに美神が同意する。おキヌの顔はここに集まったどの女よりも暗いものだった。
「そのことだが、ポチは今どこにいる?」
それまで顔を伏せていたベスパだが、横島の話が出たとたんにその顔に決意の意思を表していた。
「横島さんなら屋根裏にいると思いますけど」
「そうか」
Vespa! プロローグ
「ポチ…」
「ベスパか?」
皆から抜け出したベスパが屋根裏部屋、ルシオラとパピリオが使っていた部屋に入ってくる。
「へー、私はてっきりアンタのところに転がり込んでると思ったけど…アンタのとこに行くよりよっぽど良かったんじゃないかい? ココ」
「ほっとけ」
笑って軽口に答える横島、しかしその顔からは悲しみがこぼれ落ちていた。
ベスパは横島の隣に座る。
「アンタには感謝してる」
「へっ?」
横島は本気で驚いた。自分は自分ひとりの力ではなくとも、あのアシュタロスを倒したのである。憎まれこそすれ、感謝されるとは露にも思わなかったのだ。そんな横島を見ながらもベスパは続けた。
「アシュ様は死を望んでおられた。アシュ様の願いはアンタが叶えてくれたんだ」
「そうか…」
横島はそこまで聞いたときに思い出していた。最後の戦いのときベスパが言っていたことを…あの話から確かにアシュタロスが死を望んでいたことはわかった。そしてそれを自分たちの手で行ったこと………アシュタロスは滅んだ。本人、世界中の人々が望むように。結果自分の、横島自身に残ったものは悲しみと虚しいだけの賞賛…
(世の中、不公平だよな…)
アシュタロス討伐に多大な功績を残した横島に送られるものはGS協会からSランクの称号。
(そんなもん、望んでねぇっつうのに)
横島の考えが手にとるように分かったベスパは、自分の決意を伝えた。
「それでな、アンタに恩返し…って言ったらなんだけど、ルシオラの復活を手伝うよ」
ベスパには罪悪感があった。自分の姉と戦い、その愛しい人を殺めかけたことに。もちろん戦ったのには理由があった。それぞれの思いのために全力で戦ったのだ、己の命も顧みずに…だがあのとき勝敗は決していた。大幅にパワーアップしていた自分と元のままの姉ではそもそも勝負にならなかったのだ。最後の瞬間、止めを刺すこと以外にいくらでも方法はあった。その動きを封じて黙らせておくこともできたのだ。しかしあの場では止めを刺しにいってしまった。それは裏切られたという思いからの暴走だったのだ。アシュタロスのため邪魔者を排除するという理由も考えられたがその目的を果たすためならばルシオラを捕まえて、横島の動きを封じたほうが良いのである。冷静に考えられる今ならば解る。だからこそその償いをしたい。アシュタロスのためと言いつつ自分のことしか考えていなかった、その行為によってアシュタロスを裏切っていたということに対して…
「ありがとな、でも…せっかく自由を手に入れたんだ。何もオレに付き合う必要はないだろ?」
横島はベスパの申し出が嬉しかった。これからルシオラ復活の方法を探そうと色々と考えていたところだ。ベスパという助っ人は正直ありがたかったし、頼れるなら頼りたかった。しかし他人を犠牲にすることを嫌う横島である。ベスパの言葉をそのままに受け取った彼は恩返しという理由でベスパを巻き込みたくはなかったのである。
「私のことを気にしてるのかい? それなら気にしなくてもいい。私も好きで手伝うんだから」
「いいのか?」
言葉にすれば簡素な疑問。しかしそこには横島の想いが込められた複雑な響きがあった。
「あぁ」
これに答えるも簡素な言葉。だが二人にはそれで十分だった。
「ありがとな」
横島の顔には笑顔…久方ぶりの、心からの笑顔であった。
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